logo

ミロ の ヴィーナス 現代 文。 ミロのヴィーナス 解説その2

[ 教材研究のひろば > 高等学校 > 国語 > 読んで考えて書く力を高めるためのワークシート−「ミロのヴィーナス」編 − > 指導案 ]

芸術品の手ではありません。 失われたのが両腕だったからこそ、人々は無数の「ミロのヴィーナス」を生み出せたのです。 本文ではこの他にも「言い換え」を問うのに有効な表現が多くあります。 芸術論って、意外に面白いです。 選ばれたどんなイメージも、すでに述べたように、失われていること以上の美しさを生みだすことができないのである。 そうすると、ミロのヴィーナスは「具体」とか「抽象」といったものを教えるのに適した教材であるように見えます。

Next

ミロのヴィーナス 解説その2

ここで逆説 paradox について説明するときに力みや衒いが出てしまう教師や講師がいても別に構いません。 だから、両腕は存在しなくてよい、と筆者は強調します。 詩人である清岡卓行先生による文章、読むたびに新しい味わいを覚える箇所が多い。 漫画やゲーム、アニメの作られたはずのキャラクターを、まるで実在するかのように話したり、思い浮かべたりする事ってある筈だし、架空の存在を身近に感じたり、または今現在の社会なら、ロボットを妙に可愛いと思ったり、Siriの受け答えで遊んだり。 彼に美しさを教えた存在、とも言えます。 ちょうど担当している講義で古代ギリシャ美術をやっていたので、そこでは《ミロのヴィーナス》が傑作かどうかには諸説あるとして中村氏の意見も紹介した。 両腕でなく他の肉体の部分が失われていたとしたら、ぼくがここで述べている感動は、おそらく生じなかったにちがいない。

Next

【問題】ミロのヴィーナス / 現代文 by ccm

, PENNY N. 世界、というと意味が大きくてぼんやりしてしまいますが、ここでの意味は自分を取り巻く環境のことです。 詩人の書いた評論文で、用語の理解が難しいですね。 無意識に、隠してきたことが、時代をこえ、国境を超える事に繋がったのか。 そういう話を聴くたび、本当だろうかと私は訝しむのです。 どんな話か理解できたでしょうか? 蛇足になりますが、リスはこの話を読むたびにユーミンの「14番目の月」という曲を思い出します。 ギリシャ美術の流れを説明しながら、当時の作品だけでなく、その後の美術史でどのように参照されているかにも触れるので、古代ギリシャがいかに西洋美術史の基礎となっているかがよくわかる。 と頭にはてなが飛びそうですが、ここで冷静に本文を振り返ると、対比表現が使われている事に気が付けると思います。

Next

急ぎでお願いします!現代文のミロのヴィーナスについてです。「その原...

そのような経験から、自分は世界に働きかけることができる能動的な存在であることを発見している」 ということを言っていたことを思い出しました。 他の箇所の言い換え このように、 本文の中核的な問いが生まれる箇所において、その解答プロセスに「言い換え(換言)」の知識及び技能が必要となることがわかります。 それが、魅力となるのです。 そんなことをやってのける美術品は、稀有です。 パロス産の大理石でできている彼女は、十九世紀の初めごろ、メロス島でそこの農民により、思いがけなく発掘され、フランス人に買い取られて、パリのルーブル美術館に運ばれたと言われている。 この「評論文」は、書かれてあることがどういう意味かの説明に終止してしまう授業に陥りがちな教材の一つです。 。

Next

アフロディーテ、通称「ミロのヴィーナス」

だから、前置きとして、「奇抜なこと言っているわけじゃないです。 つまり、ミロのヴィーナスを見てしまうと、私たちは無意識に、彼女の失われた腕を想像せずにはいられなくなる。 けれど、その腕は、見る人が 「もっとも美しい」「もっとも好ましい」と思う姿であることが共通しています。 「あの欠けた部分には、一体どんな腕や顔がついていたのだろう……」 と、想像することが、魅力となり、人々に愛され、普遍的な魅力を獲得し、現代までミロのヴィーナスは生き残ったのです。 高校に入ってから怠けていたせいでこうなったんだと後悔していますが、後悔するだけで終わったら本当に駄目な人間になってしまいます(今も十分駄目な人間ですが)。 テストでこの箇所に線を引いて、指示語の問題にすることはできません。 (後日提出を求める予定です。

Next

高校国語教科書 出典一覧(現代文)『高等学校 現代文』[改定版]|三省堂「ことばと学びの宇宙」

【欠けた部分の意味】 -人間にとって「手」が重要な理由- ミロのヴィーナスが欠けた部分は、両腕です。 このまま闇雲に数をこなしても意味はないと感じたので、相談させていただきました。 石像……なんですけどね…… この人大丈夫だろうか。 宅浪という環境で、先生に聞くということができません。 ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。 anglaise, Taste and the antique : the lure of classical sculpture 1500-1900, New Haven, 1981. 多くの現代文の教科書は、この「ミロのヴィーナス」という文章に「評論」という分類を与えている。

Next

現代文

だから、想像しやすい。 なんでも、教皇ユリウス二世がミケランジェロに《ベルヴェデーレのトルソ》の手足や顔を補うよう依頼したところ、ミケランジェロは「この彫刻はこのままで完全だ」と言って断ったというのである。 現代文について決まった解き方のようなものがある、その解き方に従えば大丈夫、 そんな言い方、私は信じたことがありません。 だからこそ、その影響力が強い、私たちに訴えかけてくる力が強いことの価値に重きを置くと、どれだけ美しい再現案があったとしても、それに心の底から納得したとしても、欠損した現在のミロのヴィーナス以上の魅力は、決して生まれてこないわけです。 たとえ、それがどんなにみごとな二本の腕であるとしても。

Next